amazarashiのライブにはじめて行った。
””穴を掘っている、人生どこで間違えた””
このフレーズを聞いた時の衝撃、雰囲気はよく覚えてる。
コバヤシがカラオケで入れた、12月の歌舞伎町。
それが出会いだった。
サブスクで見つけた「リビングデッド」に衝撃を受けた。
もう最初のデッデッデッデッで身体が飛び跳ねる。
リズムというか、直感的というか、音というか、
とにかく、心地よかった。
時々耳に残るフレーズが刺さったりすることはあったけど、基本的には目を瞑って、脳を乾かし、全身の筋肉を意図せず動かすことが好きだった。
オジギソウのように、音楽に触られてた。
で、ライブが好きなのでamazarashiを昔から好きという友達を誘って行った。
2019年5月6日祝日Zepp Diver City Tokyo
「未来になれなかった全ての夜に」
僕らの人生には、沢山の選択肢があって、意識せずとも、日々を選んで生きている。
その選ばれなかった未来に応えることが、きっと最良なんだろう。
二つ、このステージで心に残ったことがあった。
””なあ、ひろ””
この体験は、そのまま胃の底にへばりついた。
両肩をガッシリと掴まれて身体を揺さぶられたように。
身体は音楽で形作られていて、言葉は身体の中でフワフワと浮いていた。
これをきっかけに、身体の形が、言葉によって再形成される感覚に襲われた。
誰かの意図には沿わないかもしれないけど、この曲の俺の解釈は、分離したもうひとり、つまり「選ばれなかった未来」の一つに対するレクイエムだ。
俺の人生には一つ大きな後悔がある。
俺の場合この曲は、14の””あの夜””の俺に向かって、アメスピを吸いながらぶつける。
これまで心に積もってた妙に薄く鬱陶しい埃が払われ、素直でクリアな思考と心を取り戻した。
””言葉を取り戻せ””
「独白」で度々叫ばれる言葉だ。
検閲解除版を初めて聞いた。
大人になるにつれて、色々なことを知った。
いろんな感情や思考が渦巻いた結果、臭いものに蓋をし、本来そうじゃないものをそうだと思い込み、自分を騙し、くだらない人間になってしまった。
例によって誰かの意図ではないかもしれないけど。
少なくとも俺は、中学生の頃まで持っていた「綺麗な言葉」を、思い出した。
これに至っては、取り戻したとは言い難い。
石膏に塗り固められた心は、一時は動こうとも、礎は、それを吸い込む。
取り戻したとして、それが正しいのかどうかわからないし、その選択が正しいのかは未知数だ。
でも「綺麗な言葉」を取り戻すのは、「あの未来」を選ばなかった俺だから、それはきっと嘘なのかもしれない。
けど結局、何百回何千回泣いたって、行き着くのは、僕らは一度切りだということ。
岡野